世間の常識など気にもしない、ラップ界のスーパーヴィランが放った強烈な一撃。
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アルバムのカバーアートに写った姿はスーパーヒーローのように見えるが、50セントによる2003年リリースのデビューアルバム『Get Rich or Die Tryin’』は長いラップの歴史の中でも突出した存在感を放つスーパーヴィランの、原点のストーリーと呼ぶべきものだ。もともと50セントはRUN D.M.Cのジャム・マスター・ジェイの下で基礎を学んでいて、Columbia Recordsと契約を結んで1999年にリリースした「How to Rob」で注目を集めたが、2000年にクイーンズの祖母の家の前で9発の銃弾を浴びて瀕死(ひんし)の重傷を負ってしまった。この銃撃事件の影響などもあってレーベルとの契約も失った50セントだったが、銃撃で負った傷からの回復後には自身が率いるG-Unitクルーと制作した伝説的なミックステープがシーンで大きな話題となり、何食わぬ振る舞いでストリートをサバイブする存在として、大いに箔(はく)が付くという結果になった。
「自分自身のスタイル、自分自身のサウンド、自分自身のアイデンティティを持つことがすごく重要。そうでなければ、強烈なインパクトは残せない」
正式なデビューアルバムをリリースする時点で、既に50セント自身はパワーの面でもリソースの面でも準備万端の状態だった。「In Da Club」はパーティーにうってつけだったし、「Many Men (Wish Death)」は9発の銃弾を浴びても生き延びたことをラップした壮大なボースティングだ。スーパーヴィランなら誰でもそうだが、50セントにも宿敵がいた。それはチャートを席巻していたジャ・ルールで、「Back Down」で痛烈な一撃を与えた。数年前に注目を集めたものの、その後は鳴りを潜めていたアーティストとしては上々だったといえるだろう。